醤油ラーメン二つ@マッチ
人物
川田美穂(35)専業主婦
川田治(36)会社員・美穂の夫
金子ムツ子(85)無職
伊藤大晴(63)ラーメン屋「竜龍」店主
大沢賢悟(25)ラーメン屋「竜龍」店員
女A
○川田家・リビング(朝)
掃除機をかける川田美穂(35)。
すぐ近くで川田治(36)がソファに座りつつパソコンで仕事をしている。
美穂が掃除機の電源を切る。
美穂「こんなに天気のいい日曜日なのに仕事持ち込んでるの?」
治「仕方ないだろ。お前こそこんなに天気のいい日曜日なのに部屋の掃除なんか
してるのか」
美穂「仕方ないでしょ。暇なんだから」
家の電話が鳴る。美穂が受話器を取る。
美穂「もしもし」
ムツ子の声「あ、出前をお願いしたいんです」
美穂、無言で電話を切る。
治「誰だったの?」
美穂「間違い電話。たまにかかってくるの」
治「でもお前、もっと愛想よくしろよ」
美穂「愛想よくしたってしなくたってお金が入ってくるわけじゃないし、
別にいいじゃん」
治「そんな言い方…」
再び電話が鳴る。美穂が受話器を取る。
美穂「もしもし」
ムツ子の声「すみません、出前をお願いしたいんです」
美穂、すぐに電話を切ろうとする。
ムツ子の声「ラーメン屋さんでしょ?りゅうりゅうさん」
美穂「りゅ?え?」
○金子ムツ子の家・リビング(朝)
電話の前の椅子に腰掛けている金子ムツ子(85)手には古いマッチ。
ムツ子「ずっと前にお店でもらったマッチを見て久しぶりに
あなたのところのラーメンを食べたくなったの」
美穂の声「はあ」
ムツ子「もう何年も前だからあなたは知らないかもしれないわね。
おじいさんが生きてた頃にね、あなたのお店に何気なく入って
醤油ラーメンを注文したの。
食べたら美味しくてね、思わずおじいさんと二人で『うまい!』って
言っちゃったのよ」
○川田家・リビング(朝)
美穂が思わず笑みをこぼす。
美穂「そうなんですか」
ムツ子の声「だから今日みたいな天気のいい日曜日はいつもあなたのお店に行って
二人で醤油ラーメンを食べたのよ」
美穂「へぇ」
ムツ子の声「でも今は足が悪くてお店まで行けないの…
出前、お願い出来るかしら?」
治が電話のやりとりを不思議に思い、美穂に近づく。
美穂「…わかりました。住所とお名前を教えていただけますか?」
美穂、受話器を片手にメモを取る。
美穂「はい、醤油ラーメン一つですね。少々お時間いただきますけどよろしいですか?
あ、お昼頃がよろしいんですね。はい、では失礼致します」
ゆっくりと受話器を置く美穂。
治「お前、ラーメン屋でも始めたのか?」
美穂「たった今ね。ちょっとパソコン貸してくれる?」
治「あ、ああ」
美穂、ブラインドタッチで検索サイトに『ラーメン りゅうりゅう』と
入力する。
治「りゅうりゅうって?」
美穂「(パソコンをいじりながら)ラーメン屋さんの名前。
ときどきかかってくるのってどうもマッチに載せた電話番号が
うちの番号になってるからみたいなの」
治「ああーそれでそのラーメン屋に文句言うのか」
美穂、手を止める。
美穂「違う。今の電話のおばあさんに『りゅうりゅう』の醤油ラーメンを
届けてあげたいの」
治「…俺も何か手伝うか?」
美穂「(にっこり笑って)ありがとう」
○ラーメン屋『竜龍』・外
客が一人、店に入って行く。
○『竜龍』・店内
店内は客で賑わっている。伊藤大晴(63)が手早く麺を湯切りしている。
入ってきた客を見てにっこり笑う。
伊藤「いらっしゃい!」
奥で電話が鳴る。大沢賢悟(25)が電話を取る。
大沢「はい、『竜龍』です!出前ですか、ありがとうございます。
醤油ラーメンを一つですね」
○川田家・リビング
治、パソコンを閉じる。美穂が伸びをしている。
美穂「終わったー」
治「見つかって良かったよ」
美穂「『竜龍』結構近所だったね」
治「ああ、今度食べに行こうか」
美穂「あのおばあさんの家もこの辺りだったから意外と顔合わせた事あったりしてね」
治「さてせっかくこんな天気のいい日曜日なんだし、どこか行こうか」
近くで救急車のサイレンの音が聞こえてくる。突然電話が鳴る。
美穂「はい、もしもし」
大沢の声「『竜龍』の大沢と申します。
先ほど出前の注文いただいた住所に伺ったんですが、何かあったんでしょうか?」
美穂「どういう事でしょうか?」
大沢の声「家の前に救急車が止まってるんですよ」
美穂「救急車?」
治が窓から外を見る。近所の家に救急車が止まっている。
○金子ムツ子の家の前
大沢が配達用のバイクを止めて携帯電話で話している。
背後には救急車が止まっている。
大沢「とにかく一度店に戻りますね。では失礼します」
大沢電話を切ってバイクにまたがる。
○川田家・リビング
美穂、受話器を置く。治が窓から外を見ている。
治「救急車近所に来てるよ。あのおばあさん本当にうちの近くだったんだな」
美穂「とにかく行ってみよう」
美穂と治、急いで外に出る。
○金子ムツ子の家の前
近所の人たちが群がっている。美穂、近くにいる女Aに声をかける。
美穂「あの、こちらに住んでる方、具合悪いんですか?」
女A「あなた、金子さんのお知り合い?」
美穂「最近ちょっと付き合いがあって…」
女A「金子さんね。突然具合が悪くなったみたいでなんとか自分で救急車は
呼べたみたいだったけどね…着いた時はもう、手遅れだったんですって…」
美穂「え…」
女A「なぜか手にはマッチの箱が握られてたって。
ご主人が亡くなられてだいぶ経つから、何か思いがあったのかしらね…」
治「マッチ箱…」
美穂、思わず両手で顔を覆う。それを見て治が美穂の肩を抱く。
○『竜龍』・店内(夕方)
店にはカウンターに座っている美穂と治のみ。伊藤が麺を茹でている。
伊藤「なんか申し訳なかったですね。昔作ったうちのマッチが…」
美穂「それはもういいんです…(うつむいて)もう一週間かあ」
伊藤「金子さんておばあさん、よく覚えているんです。夫婦仲がとても良かったな。
このところ全然いらっしゃらないから心配してたんですけどね」
治「やっぱり…最期に食べたかったんでしょうね。ここの醤油ラーメン…」
伊藤、麺を湯切りする。
伊藤「…食べて…もらいたかったなあ」
伊藤、片手で目頭をぐっと押さえる。そこへ大沢が出前から帰ってくる。
大沢「ただいま戻りましたー」
伊藤、気を取り直して
伊藤「あ、おう、お疲れ」
大沢、美穂と治を見て
大沢「あ、いらっしゃいませ。マッチの電話番号の方ですよね。
すみません店長がうっかりして…」
美穂「いいんですよ本当。そのおかげでわかった事たくさんありますから」
治「美味しいと評判のラーメン屋さんも知れたし」
大沢「店長はおっちょこちょいですけどラーメンはうまいっすよ。
味は保証します」
伊藤「おっちょこちょいは余計だよ。
お待たせ致しました。醤油ラーメン二つです」
美穂、治、箸を手に取り、合掌。
美穂「いただきます」
治「いただきます」
美穂は麺を治はスープを一口飲む。二人顔を見合わせてにっこり笑う。
二人「うまい!」